宝くじ

   買ってしまった。
 普段は滅多に買わないのだが、ボーナスも近づいていて、たまには良いか、と一つだけ買った。店の前に出来ていた行列に誘発されたのも否定できない。
 三百円の紙切れを財布にしまった。心なしか、小銭が入っていたときよりも重く感じる。
 明日明後日は缶コーヒーを飲まないことにしよう。

 電車を乗り継ぎホームに出ると、熱風が吹き荒んだ。自販機の明かりが汗ばんだ身体を誘っている。
 やはり宝くじなど気の迷いだったのか。ギャンブルなどに手を出さず、これまで通り安定した生活を送っていれば良かったものを。
 家に着くとすぐにシャワーを浴びた。汗ばんだ身体が一気に冷まされると同時に、思考回路まで冷静さを取り戻す。
 一万円分購入して、一銭も当たらなかった過去が蘇る。あの日からギャンブルには手を出さないと決めていたのに。
 疲れているのだろうか。今日はもう、ご飯を食べたら直ぐに寝てしまおう。
 水滴を払うために頭を振る。いくらか心のわだかまりも晴れた気がした。


* * *


 目を覚ますと、軽く伸びをしてから、郵便受けを覗く。新聞が来ているのを見て、昨日買った宝くじを思い出した。


──嘘だろ。
 何度も確かめた。やはり二つに相違はない。
 当たった。金額はなんと百万。
 なんてことだ。気まぐれで買ってみた一枚が、当選するなんて。
 夢かと思い、頬をつねる。
確かに痛い。
 しばし呆然とした後、徐々に現実味が出てきた。
 幸か不幸か、彼は一人暮らしだった。賞金を分け合う相手がいないのは良いが、この喜びを誰とも分かち合えないのは辛い。  そこで思い浮かんだのは、隣人の伊藤だった。
 伊藤は、青年がこの小さなアパートに越して来て、初めてできた友人である。物静かで口が固い、この話をするにはうってつけの人物だ。
 新聞と宝くじを持って、部屋を出る。すると、なんてタイミングの良いことだろう。ちょうど伊藤も部屋を出てきた。ゴミ出しに行くのか、両手にゴミ袋を持っている。

「あ、伊藤」
「おはよう。どうした」

 これを見ろよ、と青年は新聞を広げた。交通事故や殺人事件など物騒な事件が伊藤の目を引いた。

「知り合いでも殺されたのか?」
「違う、そっちじゃない」

 青年は紙面の左端の方を指差した。
 それから、手に持っていた別の紙を伊藤に突きつけた。

「宝くじが当たったかもしれない」

 伊藤はその二つをじっくり見比べた。青年と同様、二度見、三度見した。

「……良かったな、当選して」

 伊藤のその言葉を聞いて、安心と同時に青年のテンションは最高潮になった。

「だよな、やっぱり当たったよな!」
「ああ、百万なんて大金、よく引き当てたな」
「たまたま買った一枚が、こんなことになるなんて! これは夢だろうか! ちょっと俺の頬をひっぱたいてくれ!」

 青年はまぶたをきつく閉じ、歯を食いしばった。
 伊藤は困惑したが、テンションの上がった青年は聞く耳を持たない。仕方なくゴミ袋を置いた。
 その時、ズシンと身体に重力を感じた。ハッと気づいた時には目の前に誰もおらず、木造アパートのボロい天井が広がっていた。


 ──なんだ、夢か。

 俺の宝くじも、当たると良いな。
 伊藤は布団から這い出て、郵便受けへ向かった。