分岐

「……あー、酒が切れちまった」
「はあ。……そうか。買って来いよ」
「うーん。もう少し話してたいな」

 はあ、と大きなため息をつく。
 彼からの電話は、一時間ほど前にかかってきた。期末試験の勉強をしていた僕は、ノートを閉じて携帯を取った。
 内容は、彼女に振られた、というものだった。初めはめそめそと泣いていたので、なんだかかわいそうになり真剣に聞こうとしたが、同じ話を何度もしていることに気付いたあたりでめんどくさくなった。携帯をスピーカーホンにして、試験勉強をしながら適当な相槌を打っていた。
 ちなみに振られた理由は、要するに「電話がしつこい」ということらしい。まったく反省していない。

「ってかお前、試験は大丈夫なのか? 三日後だぞ」
「大丈夫、大丈夫。俺、優秀だから」確かに彼は頭が良いが、自分で言う台詞ではないだろう。「もしかして、今勉強してんの?」
「だったらなんだって言うんだよ」
「いやいや」彼は小ばかにしたように鼻で笑った。「そうだ、今からそっち行っていい?」
「はあ? なんで。今からって、もう夜だぞ」

 彼の家とは五駅ほど離れている。まだ終電ではないが、帰りの電車は無くなるだろう。
 一人暮らしの彼とは違い、僕には同居人がいる。泊まられるのは困る。

「電車の心配してんのか? それなら大丈夫、バイクで行くから」
「飲酒運転だろ」
「ああそうか、じゃあ――」
「うちにはお前と違って人がいるんだ。勝手に出入りされるのは」
「えっ、結婚してんの?」
「そうじゃない」

 また一つため息をつき、窓を開けた。暖房で暖められた部屋に、冬の冷たい空気が流れ込む。
 僕は今、訳あって母の兄の家族と暮らしている。引き取られてもう五年は経つが、他人と暮らしているような違和感は未だ拭い切れずにいる。

「なんで来たいんだ? うちには酒もなんもないぞ」
「なんだか彼女に振られたら急にさみしくなってさ。電話代ももったいないし」
「……」

 深夜の住宅街を見下ろす。こんな時間に電気が点いているのは僕の部屋くらいだと思っていたが、意外なことにちらほらと明かりが見える。
 さらに驚いたことに、人が歩いている。街灯に照らされたそれは、全身黒ずくめで如何にも不審者といった服装――

「そうだ、最近うちの近所で殺人事件が起こったんだ」ふと思い出した。「知ってるだろ? 立て続けに女性が刺されるっていうあれ」
「ああ、でもあれ、被害者全員女性じゃん。俺みたいなガタイのいい男なんて狙わないだろ」
「……そんなにうちに来たいのか」
「さみしいんだよ。わかってくれよ〜」

 下手な泣き演技がスピーカー越しに聞こえて、少し笑ってしまった。

「来てもいいよ、でも、夜道にはくれぐれも注意しろよな」