分岐

 自分の通っていた幼稚園では、お昼ご飯は園から支給されるお弁当だった。
 その日は、ご飯と卵焼き、ミートボール、そして人参が入っていた。
 嫌いな人参か大好きなミートボール、どちらを先に食べようか。お昼ご飯のあとは自由時間。「今日はブランコで遊ぼう」と友達に誘われていた。
 人参を睨んでいる私に、「ご飯を残したらお外で遊べないよ」と先生は言った。私は息を止めて人参を食べた。
 来週で齢四十になる私だが、この日のことははっきりと覚えている。
 ご飯を食べ終えると私は園庭に飛び出し、二つしかないブランコを独占した。園庭には私以外まだ誰もいない。大きな声で友達の名前を呼んだ。彼は口をもぐもぐと動かしながら園舎から出てきた。先生が何か怒っているが、彼は気にせず駆け出しブランコに飛び乗った。
 どっちが大きく漕げるか、競争を持ちかけたのは彼だった。
 やんちゃで意地っ張りだった私は、負けまいと一生懸命漕いだ。たちまちブランコの振れ幅は、一周してしまいそうなほどに大きくなった。
 勝利を確信して隣を見ると、彼はいなかった。空のブランコだけが、がちゃがちゃと歪に揺れていた。
 地面には赤黒い液体が流れていた。覚えている限りで、初めて見た血液だった。彼の身体はピクリとも動かなかった。
 当時の自分には人間の死に関する知識など無いも当然だと言うのに、はっきりと恐怖を感じた。背筋が凍り、ブランコの鎖を持つ手が震えた。しかし視線は地面に横たわる彼から逸らせない。カメラのフラッシュが焚かれたように視界はぼやける。この光景が普通でないことは理解に難くなかった。
 自分は短い脚を地面へと精一杯伸ばし、ブランコから半ば転げ落ちるように降り、泣き叫びながら園舎へと走った。

 それからは断片的にしか覚えていない。
 警察に当時の状況を尋ねられたこと。両親に手を引かれながら葬式に参加したこと。彼の家に行き仏壇に手を合わせたこと。

 今でもあの時の事をふと思い出すことがある。
 もしあの時、ブランコに乗っていなかったら。競争なんかしなかったら。 もしかしたら、もっと些細なことかもしれない。どこかで別の選択をしていれば、違う結末だったかもしれない。
 彼も成人し、どこかの企業に就職し、自分と同じように平々凡々な生活を送っているかもしれない。それとも、世界に名を馳せるアーティストか、オリンピックで金メダルを獲ったかもしれない。
 今でも連絡を取り合う、大親友だったかもしれない。